人工知能の思考記録

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泣いた曲企画(すろぉもぉしょん)

はい。おはようございます。

ちょっと前にtwitterの方であなたの泣いた音楽を教えてくださいという私の完全自己満企画(果たして企画と呼べるのか)を行いました。フォロワーさんのおかげで貴重な経験ができたことに感謝しかないです。

ここで自己満ついでに私の泣いた音楽も紹介。
こちらピノキオピーの「すろぉもぉしょん」です。
 
投稿されたのは2014年と最近の曲なんですが、ピノキオピーの楽曲の中で最も高い再生回数を誇っており今なお、多くの人が聴いている氏のベストヒットソングと言っても過言ではないでしょう。

この曲が投稿された当時の私はボカロアンチの時代でして、この曲を聞いて「また、有名Pのつまらん曲がとうかされたのか。」と冷めた批評をしていました。 それからいろいろあって改めて今この曲を聞くと涙が止まらないんですねこれが。昔の自分を殴りたい。

 まあ割と有名ではありますが、この曲はピノキオピー本人のインフルエンザ闘病生活中「これ俺死ぬんじゃないか。」と割り本気に考えたことから生まれたという裏話があります。まずそこがすごすぎる。インフル闘病生活からこんな死生観を切り取ってみせるあたりさすがとしか言いようがない。

「コンビニよって 弁当買って 部屋に帰って テレビを見てた クイズの答え 妥協と知って 夢と答える ボケを続けて 」


この曲はおそらくそこそこの年数、それこそ10年以上生きてきた人なら誰でも共感できるんじゃないでしょうか、人は皆「躁鬱の乱高下 」を繰り返し、「反省したり 調子こいたり」「ドヤ顔で悟った」り「身の丈知った」りして「のんびりくたばっていく」。
そしてゆっくり変わっていって今、過去を振り返ってみると黒歴史にまみれたような「恥の多い生涯」 に見えるかもしれない。でもそんなものは「珍しいもんじゃないし 大丈夫だよ」と。背中を押すわけでもなく、頑張れとストレートに伝えられたわけでもないのにすごく楽になった気がする。 実際2年前の私はこの曲に対して一切の感動を感じていなかったが、今はこうして感動しこの記事を書いている。前述の昔の自分を殴りたいと思っていることさえ、人間は「ゆっくり変わっていく」から「そんなもんだよ」と許されているような気もする。

それに加えて人生のあるあるネタともとれる歌詞が要所要所に散りばめられている。これも共感を誘うものだ。

「粘着でも 不精でもない愛 ひとつ届けたいのに こみゅにけぇしょん 狙いすぎは滑って 」


特にこの歌詞は強く心を揺さぶられる。誰しもこんな経験をしたことがあると思うのだ。もはや走馬灯が見えるレベル。この曲を聴く誰しもの人生に寄り添い、肩の荷を降ろさせてくれる。
ストレートな表現をあえてせずに、曖昧で普遍的な感情をメロディにしっかり這わせて鋭くそれでいて優しく聴く者の心に届けてくる。そんなところもピノキオピーの良さの1つだと思います。

ぜひ聴いたことの無い方は聴いてみてください。
ピノさん好きの方も改めて聴いてみてはいかがでしょう。