人工知能の思考記録

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セトモノ

はい。おはようございます。

 

突然ですが、相田みつをの「セトモノとセトモノと〜」から始まる詩をご存知でしょうか。

ACのCMにも起用されたやつです。私はこの詩大好きです。

 

セトモノと

セトモノと

ぶつかりっこすると

すぐこわれちゃう

どっちか

やわらかければ

だいじょうぶ

やわらかいこころを

もちましょう

そういうわたしは

いつもセトモノ

 

って奴。

実はこの詩に私ロックを感じてしまいました。

ここでいうロックとは何か。

 

あるとき私の尊敬するマキシマムザ亮君はこんなことを言ってました。

 

ジョジョ(漫画「ジョジョの奇妙な冒険」)の話をします。“スタンドの強さはそれを操る人間の心の強さ”と言いますが、ひょっとすると音楽にも同じ事が言えるかも知れない。では、マキシマム ザ ホルモンのロックもそうなのだろうか? 否、それは逆なのです。心の強さなどではなく、グジュグジュとした僕の“心の弱い”部分こそがホルモンの音楽の“強さ”の元になっているのだと信じています。いや、そうでなくてはならない。例えば恐喝をする人間とカツアゲをされた人間、この両者が音を鳴らした時どちらがロックか? 後者であるべきなんです。

 

亮君のロックは弱者のみに許された特権なのである。(そういえばポリスマンベンツの曲解説にも同じようなことが書いてあった。)今この記事上でのロックの定義のみこれに準ずるものとさせていただく。

 

みつをの詩を受けて何が言いたいのか。この詩は皆に「セトモノの心ではなくやわらかい心を持て」と述べておる。例えば先ほどのACのCMでは人と人がぶつかり合って、険悪なムードになる。ここで、自分の中で「俺は悪くない。悪いのはあいつだ」と他者を否定し自己を肯定することは別に悪いことじゃない。実際問題どっちが悪いかなんてわからないし、そこで相手と罵り合いに発展しなければそれはそれで平和だろう。

しかし、どこか腑に落ちない。わかってる。世の中はこんなことで溢れてる。諦めが肝要である。そんなことはわかってる。でもなんか悔しいだろ。わからないかな。読んでる方でわかってくれる人がいれば嬉しいけど、むちゃくちゃ悔しい。なんか自分の中に住む得体の知れない汚い大きな魔物に支配されてる気がする。そんなものに服従したくない。ならどうするか。

客観的に見て自分が悪くなくても、自分を戒める他ない。

 

この詩からそんな覚悟を感じる。大きな流れに抗うために自らを弱者に追い込む行為。そこにロックを感じますね。

 

しかもこの詩がすごいのはラスト「そういうわたしはいつもセトモノ」

これは作者が皆に向けて書いていると同時に、自分に向けて書いているのだ。

ここでお気づきだろうか。このときようやく筆者は「やわらかい心」を持つという行為を完遂している。「やわらかい心をもちましょう」と訴える時点で、それがセトモノ的な行為であるというセトモノパラドックスを、セトモノであると自称することによって解消したわけだ。これを自然とやってのけるのがすごい。

 

 

なんでこんな記事書いてるかっていうと、今日の帰り道ぶつかったんですよね。おっさんと。

おっさんはスマホいじりながらこっちに向かってきた。

私はピノキオピーの「アンテナ」聴きながら帰宅。

両方が歩道の同じ側歩いてたんですよね。

私は思いました「どうせ近くまで来たら反対側いくだろ」と。

おっさんは私と同じこと考えてたかスマホいじるのに夢中だったか。わかりませんが。

ぶつかりましたわぁ。

よくよく考えればこの時点ですでにセトモノだった。

そして一瞬にらみ合い。

すいませんでした。

とおっさんが言った。

 

 

かどうかは私イヤホンつけてたんでわかんなかったんですが。とりあえず私は謝っときました。

しかしよく見るとおっさんもイヤホンつけとるやないか。

 

というわけで結局セトモノなのかどうなのか。全くわからずじまい。でも謝った時点で私の勝ちだ!というふうに考える。

ぶつかった時おっさんの手が股間に当たったのは俺の完全敗北。

 

 

 

「そういうわたしはいつもセトモノ」

 

以上自己満記事でした。

 

最近音楽関係なくなっとるやん。というツッコミなどコメント待ってます。

 

ではおやすみ。